人を幸せにする自分ビジネスへの違和感

自分ビジネスを始める大義名分について考えてみた

ご不浄ランドでは
「100%自分で君臨していると自分ビジネスがしたくなっちゃうのではないか」
と、校長スゲーデルゆか氏が言っている。

いわゆる起業というやつだ。

本当にそうなのか?という事はさておき、
私もある時からいい人ぶるのをやめてご不浄ランドを荒らしまくっていたら
結果的に自分ビジネスをしたくなっちゃった人のひとりだ。

荒らしているだけでランドクルーからもてはやされた私は、悪口こそ正義だと確信し、
「悪口言う自分さえも認めることこそが、自分を生きるスタート地点」
という綺麗事をぶっ放していた。

そして、
そんな中「いいけどさ、うほいは自分の奥底の傷に向き合えるといいね
と校長と教頭に言われたのを覚えている。

当時は「なんじゃそりゃ」と内心一蹴したのだが、
最近その意味が分かりつつある。

純粋に人の役に立ちたいという自分ビジネスってありえるの?

純粋に「人の役に立ちたい・人を幸せにしたい」サービスってあるのだろうか?
そもそも、奥底の欲求として成立するのだろうか。
この言葉は耳障りも良いし、なんだか良いことをしている風に見える。
なんだか応援したくなっちゃう人も多いかもしれない。

ただ、人がわざわざ自分ビジネスしようと思う最初のスタートではないんじゃないか。
副業でも本業でも、自分ビジネスを生業にするって生半可じゃない苦労がある。

そんな苦労をしてまでしたい事は、自分にとってのメリットがあるからなんじゃないか。
そのメリットがあるから続けられるんじゃないか。
メリットがなくても一瞬なら出来るだろうし、
もしかしたらメリットなくても出来ちゃう仏のような人が存在するかもしれない、私が知らないだけで。

でもさ、他人を幸せにしたいなんて、自分に余裕がないと出来なくないか
体力的にも時間的にも金銭的にも。
少なくとも私は自分がお腹減ってる時はご飯を分けたくないし、
お金がない時には貸したくない人間なのだ。

ただ、純粋にそんな人がいるなら知りたい。是非知りたいから教えてほしい。

自分ビジネスは自己肯定の材料

私がしたいサービスは、
「当事者よりも酷い悪口を、面白おかしくなっちゃうぐらい言う」という狂気に満ちたものだ。

「悪口を言う自分を認めてからこそ、自分を本気で愛し始める事が出来ると信じている。」
と結構ガチで信じていたが、今考えると純粋ではない。
私の奥底の気持ちは
「人よりも10倍ぐらい悪態をつく自分でも許容されたい」というものだろうと最近気づいた。
いわゆる自己肯定の為に自分ビジネスをしたいと言っても過言ではない。壮大な自慰である。

幼い頃から、どこかしら集団に馴染めないと感じていた自分を
「それでも良いのだ、そんな私でも人の役に立てるのだ」と証明したいのかもしれない。

「自分の人生を生きたいなら、悪口言っちゃおうよ」
って言ってる私はきっと誰でもなく自分の傷を生涯かけて癒す為なのかもしれない。

いやはや恥ずかしいけど、楽しいもんだからやめられません。

うほいでした。

報告する

関連記事一覧

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

コメントするためには、 ログイン してください。